みさもふブログ

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かっこいい文章は頭の中でかっこいい声で読み上げられる

たとえ書き手の顔は知らなくても、読んでいてかっこいいなと思う文章は自然とかっこいい声で頭の中で読み上げられてしまう…

 

かっこいい文章とは?

文章という文字からの情報だけでも、かっこよさを感じるときがある。

 

漫画や小説に登場する男性キャラの非日常的なかっこよすぎるセリフの文をみてかっこいいと感じるのとは少し違う。

 

もちろん、これらもかっこいい声で聞こえてくるのは間違いない。

 

でも、漫画の場合は登場人物の絵が大きく影響するし、小説の場合でも人物描写等の影響を受けてしまう。

そこにかっこいい要素があればそのセリフがかっこよく聞こえてくるのは当然だと思うから、文章自体がかっこいいのとは少し違う。

おそらく、かっこいいと感じるのはセリフの文章よりもセリフを喋っているキャラの影響が大きい。

 

私が思う「かっこいい文章」というのは、書き手のかっこよさがあらわれた文章のことである。

 

新聞やビジネス文書等の固い文章ではなく、ライターやブロガー等が書いた、書き手個人の個性が透けて見えるような文章に多いイメージだ。 

 

例えば、考え方がかっこいい・エピソードがかっこいい・言い回しがかっこいい・文章全体から謎のかっこよさが漂ってくる、などである。

 

頭の中で「声」が聞こえる 

先述したようなかっこいい文章に出会ったとき、書き手の本当の声など聞いたこともないが、かっこいい声で読みあげられてしまう。

それは、特定のだれかの声というわけでもないただの「かっこいい声」なのである。

 

こんな現象が起こってしまうのは、私ぐらいだろうか。

 

でも、かっこいい声かどうかは別にして、文章を読む時に口では音声を発しなくても頭の中では「声」が聞こえる人、というのは少なからずいるはずだ。

 

「内なる声」が聞こえる人と聞こえない人

 

あるニュースサイトでこんな記事があった。

 

本などの文章を読む際に、声を出さずに黙読していても頭の中で文章を読み上げる「声」が聞こえる、という人が8割以上を占めていることが調査から明らかになりました。

 

これは、読書中に頭の中で声が聞こえるか?という調査についての記事である。

この調査をおこなったのはニューヨーク大学で、調査には英語圏の質問サイトに投稿された質問が利用されたようだ。

 

記事では、読書中に頭の中でのみ聞こえる声のことを「内なる声」と表現していた。

その声が聞こえる人が8割以上もいるようだ。

 

私が一番気になったのは、内なる声の「声色」に関する以下の記述。

 

「読書中の内なる声の声色が一定かどうか」も議論の的となっていて、「さまざまな声色がある」という人は、本の登場人物や、手紙やメールの送信者によって声色が変わると回答。「声色は毎回同じ」と答えたユーザーは、自分の声と似た声色で、ピッチやトーンが少し異なると回答していたとのこと。 

【引用元】

本を読むときに頭の中で「声」が聞こえる人と聞こえない人がいることが判明 - GIGAZINE

 

 

内なる声が聞こえる人の中でも、声がいつも自分の声で一定の人もいれば、読む文章に合わせて声色が変わる人もいるという結果になったようだ。

 

大きく分類すると以下の3タイプ

◆タイプ1 内なる声が聞こえない。

◆タイプ2 内なる声が聞こえる。その声の声色は一定。

◆タイプ3 内なる声が聞こえる。その声の声色は変化する。

 

今回引用した記事では触れられていなかったが、文章を読む時に、脳内だけで音声を発するように読むことをサブボーカライゼーション(Subvocalization)と言う。(日本語では内言語化とも言う。)

一般的に、このサブボーカライゼーションをしないで読む方が、速く文章を読むことができる。

  

あなたはどのタイプ?

私は、もちろん「内なる声」が聞こえるタイプで、さらに声色は変わるタイプだ。(すべての文章がかっこいい声で読みあげられたりはしないから。)

 

冒頭で触れた、「かっこいい文章はかっこいい声で〜」という私に起こるこの現象は、おそらく読んでる文章に応じて聞こえてくる声色が変わっているからというだけのことなのではないかと気づいた。

 

最後に 

そもそも、私のように文章からかっこよさを感じるタイプの人がいるかどうかの調査資料等はないから、この「かっこいい文章はかっこいい声で〜」現象に100%共感する人は少ない(又はほぼいない?)と思う。

 

でも、文章に合わせて聞こえてくる声が変わるという私と同じタイプの人なら、ちょっと変わったこの現象に対しても多少なりとも共感してもらえるのではないかと信じている。